ZZモデル1/35 ブライヒェルト 3トン車載クレーン ADK-3

クリックで画像を表示
クリックで画像を表示
クリックで画像を表示

クリックで画像を表示
レジン製コンバージョンキット

 アドルフ・ブライヒェルトによって1874年に創業されたブライヒェルト社(Bleichert-Transportanlagen GmbH)は、ワイヤー式ロープウェイを世界で最初に製造し、その分野では20世紀前半まで世界シェアがトップの企業でした。その技術を応用して、1930年代よりワイヤー式クレーンやエレベーター、船舶用採掘機器の製造を始めます。

 第二次大戦後、工場と会社のあったライプツィヒがソ連に占領されると、ソ連軍政府は、個人事業以外の企業は全て戦後賠償を行うための「ソヴィエト株式会社(SAG)」となるよう通達し、ブライヒェルト社も、これに従い「Bleichert Transportanlagenfabrik Leipzig SAG」と社名変更させられます。

 SAGとなったカール・ツァイスやオペル、バンデラー、ビュッシングなどの各工場からソ連は戦後賠償の名目で生産設備や機材、資材を自国に持ち去り、必要と判断すると機械操作ができる工員や修理をする技術者、設計ができる科学者も連れ去りました。ブライヒェルト社は交渉の末、設備の接収や社員の連行は免除してもらう代わりに製品での過酷な賠償を課せられます。

 1948年にディーゼルエンジンで発電機を回し、発電した電気でモーターを駆動するディーゼル・エレクトリック方式の3トン車載クレーンADK-3を開発しますが、賠償用としてほとんどがソ連へと引渡され、ZiS-5V、UralZiS-5、ZiS-150、ZiS-151、ZiL-164、スチュードベーカーUS-6 などに搭載されました。ロシア人はADK-3を「ブライヘルト」と呼び、民生だけでなく軍用にも使いました。また、賠償問題を抱えていたポーランドにも引き渡されています。

 1953年になって、ようやく東独国内への供給が認められ、東独軍用のIFA G5トラック、翌1954年から、IFA H3Aに搭載されました。

 ADK-3はソ連、東独、ポーランド各国で建設現場や道路工事、林業や農業での積載作業など1950年代から60年代に幅広く活躍をしました。

 箱の商品名は「ブライヒェルト・クレーン」としか書かれておらず、西側のモデラーは、おそらく大半が知らないであろう車載クレーンですが、東側の戦後復興には欠かせぬアイテムで、ロシアの友達から「レッドアイアンを売っているなら、ZZモデルのADK-3も扱わないとイカンよ」との言葉と共に上記のストーリーを聞かされて仕入れることにしました。

 クレーンは箱一杯のサイズの大判エッチングで再現されオペレーター席はレジン製です。レジン部品に気泡はなく成型状態は良好です。

ADK-3を搭載した各国のトラックは、以下のとおりです。

(東独)
IFA G5(東独軍用)、IFA H3A、IFA H6、ZIL-157

(ソ連)
ZiS-5V、UralZiS-5、ZiS-150、ZiS-151、ZiL-164、スチュードベーカーUS-6、

(ポーランド)
STAR 20

*送料無料の商品です。ちなみにZZモデルは日本に代理店がありまして売価は、なんと30000円越え…